2011年4月 6日 (水)

『からん』が終わるんだって

『からん』六巻が今月発売ということで、楽しみに待っていた矢先、今月下旬発売の「月刊アフタヌーン」にて『からん』最終回という衝撃的情報を得てしまった。
嘘だと言ってくれ。こんなどんでん返しはあんまりだ、木村さん……。

『神戸在住』で、阪神大震災とボランティアのことをがっちりと描いた木村紺のことだから、突然の連載終了について、どうしても震災との関連が頭に浮かんでしまう。体調不良とか、そっち方面の心配。
でも、順当に考えたら、「打ち切り」ってやつなんだろうなあ。
売れていたわけでも、なにか賞をもらったわけでもないし、雑誌としては当たり前の所業なのかもしれんが、あんなに血が滾って、この上なく食えなくて、すさまじくおもしろい漫画が、こんな中途半端に終わるなんて、理不尽にも程があるわ。
話の進行がものすごーく遅くて、完結までに何年かける気だー、とは思っていたけど、ついにすべてを描き切らずに終わってしまうわけだ。
雑誌で追いかけてはいなかったけど、おそらく、この調子で終わるのならば、多数の伏線・今後の展開を匂わせる要素が放置されたままになってしまうだろう。
こういう気持ち、ジャンプとかを購読してる人はよく味わうのかなあ。私は初めてだ。なんてひどい気分だろう。

木村紺先生の次回作にご期待下さい
ってか?

タイミングを外したエイプリルフールとか、実は第一部完で次号から第二部開始とか、そういう妄想をして現実から逃避するのはやめた方がいいかもしれない。

木村紺ほど波長の合う漫画家は、佐々木倫子くらいしかいない。佐々木倫子は『チャンネルはそのまま!』というすばらしい作品を描いてくれているので、木村紺も近くまたすばらしい作品を描いてくれることを切に願います。

ともかくは、六巻、そしていずれ出るだろう最終巻を待って、終わりを見届けねば。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2010年5月26日 (水)

木村紺「からん」四巻

からん(4) (アフタヌーンKC)


ダラダラとなにも書かずにいるうちに、もう五月ですね。
というわけで、私の崇拝する木村紺先生の最新刊が出てから、もう二カ月経ってしまいました。
「からん」四巻。
激烈に印象に残ったのは、第十七話、雅と比嘉がジムに行くお話。比嘉の発した、「高瀬さん なんで柔道してんの?」という素朴な質問への、雅の返答がすごい。まず、やたら客観的に、柔道というスポーツの長所を評価する。そして、それに続くことばに感動しちゃったので一部を引用。

「私はね 人間の可能性を知りたいの 才能に恵まれた者の到達点! 才能の乏しい者の限界点 そしてこの自分がどこまでゆけるのか 困難に挑戦しそれを乗りこえ 人間が成長するその瞬間! それを目のあたりにしたとき ドッ っと血が脈を打つ! 掌が汗ばむほど興奮する! あえて言うなら その瞬間に居あわせることが私の望み なのかな?」

帯に、「これが「ドラマ」!! これが「人間描写」!!」とある通り。雅という人物の掘り下げ方がすばらしすぎ。
雅は今まで、外界をコントロールする立場に居続けていたし、これからも居続けるのでしょうけれど、ここにきて内面が語られました。それがあくまで、比嘉も指摘する通り、他人事のような言い回しで語られ、本人にもその自覚がある、ということで、雅ったら何から何まで計算してんのかしら。

さてさて、本筋で最も気になるのは、京が直観像記憶なる能力を持っていることが明らかにされるくだりですわね。ここでも場のコントロールを図る雅。しかしそれが微妙にうまくいっていない感じで、154ページ最後のコマでは、うわーそういう展開になってしまうのか、と震えさせられました。
たくさん出てきたクラスメイトが、積極的な絡みを見せるのかと思いきや、どうも目立った動きがないのが意外。木村さんのことだから、個性を立たせていくのかと思ったのですが、むしろ、一まとまりで京を疎外する方向に動いてしまうのでしょうか? とりあえず、京がアレなことになる伏線は張られたので(加えて、彼女には「雛菊」という別の一面があり、そっちの方でもアレな展開になるフラグが……)、それに伴って、現在、京と親密な雅が、どのような立場になっていくのやら、大変気になります。
あと、雅がパニックを起こし、一巻の冒頭に登場した、保という親族(兄?)のことを思い出しているのは、なんなのかな……。

ところで「こん中にひとォ――り!! テストで一番とった奴がおる!」ってのは、嘉門達夫の「この中にひとり」でしょうか。おまけ漫画のぶっ飛び度は巻を追うごとにパワーアップしてるし、どこまでも笑わせてくれますね。

相も変わらずすさまじくおもしろいので、ペースはゆっくりめでもいいから、ぜひぜひ、描き切ってください。そして、掌が汗ばむほどの興奮を味わわせてください!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月24日 (水)

水上悟志「惑星のさみだれ」四巻まで

惑星のさみだれ 4 (ヤングキングコミックス)


一巻だけ読んだ時点での感想
この興奮をどんな感じで伝えればよいのやら、わかりませんけれど、なにはともあれ、すごい勢いでおもしろくなってきました。
一巻を読んで、まあこんなもんかな、なんて思っていたんですけどねー……。物語が大きく、どえらく広くなりました。その上、一気にどばーっと、いろんな色が混ざりました。
二巻でいきなり(ネタバレ)騎士の一人が退場。少し急すぎる感じもしましたが、三巻では、それまでのお話に整理をつけ、さらには残りの騎士全員が大挙して登場するという、前巻以上の急展開。やー、もう、ぐいぐい来てます。しかしこれはやりすぎじゃあ、と思っていると、四巻は、それぞれの人物の背景やら位置づけやらを描き込んでいくという流れでした。主人公とヒロイン(?)は完全に脇役。そういうふうに持っていくのかー、と思いましたね。しかもその一つ一つのエピソードがおもしろいんだから、たまったもんじゃない。特に最後の話は猛烈に熱いです。
かように熱いところは実に熱い、熱気に当てられるくらいに熱いのですが、一方でボケーッとした空気、日常と付かず離れずの具合もいい感じで、この接ぎ合わせがかなりいい味を生んでいるように思います。
えーと、袖の言葉によりますと、作者は、「みんな驚くだろうなー」とニヤニヤしながら漫画を描いてるそうで。そうすると、私は作者の期待に応えまくっているということになりますね。けっこうたくさん驚いてしまったから。
いやしかし、きっとまだこれからですよ。これは登場人物紹介のはずで、これから、人物同士が絡み合って、物語が動いていくわけで、だから本当におもしろくなってくるのはこれからなんです。たぶん。そうでないと困る。誰がどうなっていくのか、まるで予想もつかないし、気になるったらありゃしない。もう、ガンガン意表を突いてくださいよ。
おそらくこれから(ネタバレ)人が何人も死んでいくのではないかと推測されますが、これだけ背景をがっつりと描き込んだ以上、それを、相当の厚みと重みをもって描き出してくれることでしょう。すーっごく期待してます。
現在八巻まで出ている模様。全巻買いに走りたい衝動に駆られます。バイトをしろという声が聞こえてきますが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月12日 (金)

浅野りん「京洛れぎおん」

京洛れぎおん(1) (ブレイドコミックス)


浅野りんの新刊が二冊同時に読めるとは、いい時代になったものですね。
こちらの「京洛れぎおん」は新作。「パンゲア・エゼル」の暗くて重い空気とは打って変わって、カラリと明るい笑いが響き渡る快作です。
浅野りんの描くコメディーは、普通の日常に、ある日、異世界の存在がちょっとだけ加わって、でもだいたい普通の日常のまま、みたいな感じ。「京洛れぎおん」も例外ではありません。
あらすじ。主人公・神足鉄汰は、高校受験の帰り道、強引に車に乗せられて、こんな話を聞かされる。……一般人は誰も知らないが、この世界にはときおり、異次元から化物が侵入してくる。やつらはモノを喰って、世界を荒らしていくのだ。放っておくと世界が呑まれてしまうから、退治しなければならない……。そして鉄汰は、化物退治のサポート役になることを要請される。えー、どうやら、作者が「モンスターハンター」をプレイした経験が活用されているみたいですね。作中に、モンハンをモデルにしたゲームも登場するし。
誰も知らないうちに世界に危機が訪れてます、という設定は「天外レトロジカル」を彷彿させるし、化物を退治する千鳥とサポート役の鉄汰の組み合わせは「天外」のあんじゅと諒平や「CHŌKO・ビースト!!」のちょーこと京太に似ています(性格は全然違うが……)。化物退治を邪魔する敵(?)の存在も今までの作品を思い出させるもので、全体的に、取り立てて新鮮さはないのですが、新境地は「パンゲア・エゼル」で切り開いていただければいいと思っているので、全く問題はなし。高校生活の描写も相変わらずステキで、特に第四話がかなり「PON!とキマイラ」のテンションに近かったのが嬉しかったですね。
さらに、舞台は題にもある通り、作者のホームグラウンド・京都。というわけで、京都弁がかなり色濃く作品を彩ってます。これだけでも評価が三割増になるというもの。ここにかけあいのおもしろさが加われば鬼に金棒ですよ。さながらしゃべくり漫才。大笑いする箇所は少ないんですが、あっけらかんとした雰囲気がとてもいい。楽しくなってきます。
これぞ、浅野りんコメディーの王道を行く作品と言うべきでしょう。シリアスなのも悪くはないけど、こういう作品が読みたかったんですよ浅野先生!

それにしても、「ここが税金収めんかったら(原文ママ)京都市民の負担額はやばいらしい」って噂のある、「インターフェース作るの世界一上手な」大企業って……。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

浅野りん「パンゲア・エゼル」

パンゲア・エゼル(6) (ブレイドコミックス)


作者コメントによると、ご結婚されたそうで、おめでとうございます。1998年だか1999年だかに連載を開始して、事情により2002年に連載を中断、2003年に改題のうえ連載再開。もう十年以上続いているんですねぇ……。そりゃ結婚してもおかしくないわ。
えー、第六巻が出ました。めでたい。でも、元の題名が「パンゲア」で、これは全五巻で終わっているものの、話は「パンゲア・エゼル」の一巻に直接つながっているので、通算では第十一巻ということになりますね。それにしても、一年三カ月ぶりですか。待ちました。
お話としては、姉をさらった人物を探して旅に出た青年・ライセを主人公と、行く先々に見え隠れする教団「ルクレイム」の話を軸にして、様々な人の様々な思惑が様々に交錯するという感じです。すでに、要約するのが面倒な長さと複雑さになってます。他の浅野作品が日常を舞台としたコメディーなのに対して、こちらはシリアスなファンタジー。
で、読み始めたわけですが、困ったことに、第五巻を読んだのがかなり前だったため、内容を一部忘れていました。特に人物の名前をほとんど忘却(カタカナ三文字の人が多くて、印象に残りにくいんだよ……)。既刊が手元にないので確認もできず。さらに、ちょっと前(第四巻くらいか?)で、主人公の一行がバラバラになって、それぞれが今どうなっているかが平行して描かれるので、話が錯綜気味で、頭の容量がいっぱいになってしまうのでした。
物語はいよいよ佳境かなあ、という気もしますけれど、そんなこと言ったら、前巻も前々巻も佳境だという気がしたし。前々からのことですが、話のテンポがあまりよくありません。そろそろ加速してくれないかなあ。
とはいえ、おもしろいことはおもしろいです。完結まではもうしばらくかかりそうですが、楽しみに待ってます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

倉阪鬼一郎「三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人」

三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人 (講談社ノベルス)


小説としての旨味とかそういうものは無視して、変なところに渾身の力を注いだ異形のバカミス。今月六日に開催された第三回世界バカミス☆アワードで、見事グランプリに輝きました。
倉阪鬼一郎の著作には、「四重奏」や「42.195」など、作者自身が「バカミス」に分類している作品がいくつかあるのですが、この「三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人」はその中でも最大級にバカ。本当にバカ。心底バカ。なお、「バカ」というのは誉め言葉です。念のため。
あらすじはタイトルの通り、三崎にある「黒鳥館」と「白鳥館」で連続密室殺人が起きるというもの。監視カメラに阻まれた事件現場への侵入方法の謎はもちろん、瞬間移動の謎も描写されており、けっこう強固な不可能状況と雰囲気、そして著者が倉阪鬼一郎であることが相まって、物理的なもの以外のなにがしかの仕掛けを予感させます。展開は淡々としており、わりと安っぽいですが、どこもかしこも伏線だらけと言えるくらいに、手がかりがばらまいてあるので油断はできません。
半ば以降はいよいよ解決編なのですが、ここからはもう、爆笑と脱力の嵐でして、まず、とんでもない「谷の飛び越え方」にはびっくり。そして、館の正体が判明するくだりでは、大笑いしてしまいました。ハウダニットはかなり脱力系ですが、バカの乱れ打ちの中にあっては、ピタリとはまっております。次々と伏線が回収されていく過程で、意味ありげに記述されていた言葉が、かなりアホらしいものだったことがわかるあたりも笑えてしかたがありません。
さらに、それだけでは終わらないのがこの作品のすごいところで、「しあわせの書」に匹敵するほどの、不毛とも思える偏執的なこだわり(しかも一種類ではない)には、呆れる気持ちを通り越して、感動すら覚えます。このあたりは、著者の言う「すべての言葉が伏線となっている小説」ってやつを表現しようとしているのでしょうか。
まさに「怪作」の名にふさわしい作品。個人的には「四神金赤館銀青館不可能殺人」より好みだし、バカさでも上回っていると思います。
新本格ミステリは、当初「人間が描けていない」という批判を受けたそうですが、この、人間を描くってなんですかと開き直ったかのようなすさまじさは、もしかすると新本格の究極の形なのかもしれませんね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月 4日 (木)

初野晴「退出ゲーム」

退出ゲーム


弱小吹奏楽部に所属する高校生、チカとハルタを主人公に据えた連作ミステリです。
高校生が主人公の小説を読むといつも感じるのは、お前ら高校生にしては大人びすぎだろ! ってことで、この作品も例外ではありませんでした。あ、主人公に限りませんね。みんなそんな感じ。セリフ回しとか思考回路とか。しかし、おもしろければ不満ではないわけで、この作品でも、そこは不満ではありません。
全体的にはかなりコミカルですが、要所でぐっと引き締められた空気へと転じるところがいいと思います。
宣伝文句によると、「爽やかな青春ミステリ」だそうで、学園の人間ドラマと小粒な日常の謎が融合した作品かな、と思ってしまったのですが、さにあらず。学園の人間ドラマと大粒な日常の謎(か?)が融合した傑作なのです。小さな謎からでも、大きな真相が引き出されます。
「結晶泥棒」は、化学部から硫酸銅の結晶が盗まれるお話。これはまだ、わりと普通の日常の謎の部類に入ります。そんなこと知るかッ、と言いたくなる部分もありますが、伏線の張り方がうまいと思います。キャラの立て方もけっこう好き。
「クロスキューブ」は、弟の死がきっかけで吹奏楽をやめてしまった少女をなんとか入部させよう、というお話。探偵役は、その過程で、弟が遺した全面白色の奇妙なルービックキューブの謎にぶち当たるのでした。解決と泣きの物語が一体となって押し寄せる結末が強く印象に残ります。
表題作「退出ゲーム」は、ある演劇部員を吹奏楽部に引き入れるべく、演劇部と吹奏楽部が「退出ゲーム」で対決をするお話。「退出ゲーム」とは、あるシチュエーションで、自分たちが退出する、あるいは相手を退出させることを目的とした即興劇です。この劇自体もおもしろいのですが、途中で新たな設定が加えられることで、舞台上の「世界」が違ったものに変わっていくのがさらにおもしろく、思いもよらない捻りによって終盤で怒涛のひっくり返しが繰り出されるあたりは圧巻。最後には胸を打つ展開まで用意されて、締めまで秀逸な傑作です。
「エレファンツ・ブレス」は、オモイデマクラなる怪しげな発明品から始まって、記憶喪失の爺さんが見たという謎の色「エレファンツ・ブレス」探しへと展開していくお話。少し強引な感じもしますが、斜め上を行く真相の衝撃と、解決を経て明らかにされる人間ドラマのすばらしさは集中でも一番です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「不快に思われるから」という理由には納得がいかない

もう半月以上前の話になってしまいますが……。

この間、トラックバックに対して丁重なコメントをいただいて、恐縮しきりでありました。
しかーし、一つどうしても納得がいかないのが、「私(金蛇)が不快に思ったから」記事を公開しないという手段をとられたこと。なんというか……あっちゃー、というか。
たしかに、全く不快に思っていないかといえば、そんなことはありません。が、文章を読んで不快になることなんて、しょっちゅうあります。私は、内容が激烈な批判であり、「かつ頷けないところが多々あったうえ、もしかしたら勘違いがあるのかもしれないと思ったから」文章を書いたのです。不快なだけだったら、心の内に留めておきますよ。
コメントには、「まずは私の記事で不快な思いをさせてしまったこと、本当に申し訳なく思います。ファン限定にしておかなかったことを今更ながらに悔やんでおります」と書かれておりますが、申し訳なく思われたり、悔やまれたりする必要はないと考えます。むしろ、そんなことはしないでほしいです。そもそも、謝られる意味がよくわかりません。
「作者とその作品に悪いと思いつつも、自分が気に入らない作品に関しては批判めいた記事を書いてしまいます」とあります。作者の心情は考えなくてもいい、と私は思いますが、批判めいた記事をかくことについては、それでいいんです。批判的読みは、作品を評価している者からすれば、不快にも感じるでしょうが(そして不快感を得ただけで終わる場合もあるでしょうが)、それによって新たな知見を得られることもあるのではないでしょうか。私は記事を読んで、なるほど、こういうふうに感じる人もいるのか、と思わされましたが、これも一つの新しい知見です。他者の様々な読み方を知ることは、意義のあることだと私は思います。対立する意見を述べ合うことで、別の地点へと到達することも可能だと思います。だから、記事を公開しないというやり方は、ぜひとも避けていただきたかったです。
そもそも、一人に言われたくらいで非公開にするような気持ちで文章を書かないでほしい、とも思います。
というか、不快に思う可能性があるから文章を公開しないとか言い出したら、どんな文章も公開できないのでは? 作品の感想文を書くにしても、褒めれば、その作品を低く評価している方がむっとするし、貶せば、その作品を高く評価している方が頭にくる、なんて考えると、褒めることも貶すこともできなくなってしまうのではないでしょうか……。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月13日 (水)

北山猛邦「踊るジョーカー」

踊るジョーカー―名探偵 音野順の事件簿


名探偵・音野順と、助手の白瀬白夜の活躍を描く短編集です。
果てしなく気弱な音野と、彼を支える白瀬、そして岩飛警部のコミカルなやりとりは、北山猛邦の新境地と言えるのかもしれない……。
えー、北山猛邦といえば物理トリック、ということで、電子錠の密室を扱った表題作では、どうしてもそっち方向の期待をしてしまいますが、真相そのものは陳腐。とはいえ、別のトリックと組み合わされて、それなりの作品にはなっています。
「時間泥棒」は、時計だけが次々と盗まれるという、いわゆる日常の謎を扱った作品。北山作品としては異色の部類ですかね。小粒ながら端正なロジックと、真相の適度な飛び具合がいいと思います。
「見えないダイイング・メッセージ」は題の通り、ダイイング・メッセージ解読が主眼に置かれた作品。被害者が死に際に撮った写真について、あれこれ考えが巡らされるのですが、そこで盲点を突く真相はよくできています。その後の展開もまずまず。
「毒入りバレンタイン・チョコ」は、ただ一つの毒入りチョコを被害者にどうやって食べさせたか、というお話です。作者らしさ溢れるトリックはさすが。それにしてもムチャクチャな動機だ。
「ゆきだるまが殺しにやってくる」は、雪の中で起きた足跡のない殺人を扱っています。表題作と同様に、小道具を駆使した微笑ましいトリックが見もの。犯人指摘段階での思わぬ展開には笑いを誘われました。

全体的には、うーん、悪くはないんですが、取り立ててよくもないですね。短編ならではの鋭い切れ味で魅せるというよりは、「短い=小さい」というふうにまとまってしまっていると思います。長編の小型化というか、縮小版というか、そんな感じ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

詠坂雄二「電氣人閒の虞」

電氣人輭の虞


「遠海事件」に続いて、詠坂雄二がまた変なことをやったようです。
語ると現われる、物質を通り抜ける、電気で人を殺す、という「電気人間」。そのローカルな都市伝説を調べていた女子大生が不審死した。彼女と交流のあった高校生・日積亨は、彼女と電気人間の関わりを調べるが、彼もまた同じように死を遂げる。そして、ライターの棚馬と作家の詠坂が事件の調査に乗り出す……といったお話。
なんとなくふわふわした雰囲気で話が進み、どこにどういう解決がつけられるのか、と思っているところで、披露される詠坂の推理は、しかしそんなにおもしろいものではありません。当然、この後にまだなにかが待っているのだろう……と思っていると、予想の遥か斜め上をいくすばらしい一撃が。ネタそのものには、いくつかの前例が思い浮かびましたが、それらの作品を読んでいたとしても、違和感なく三人称視点の小説として読めるため、この真相に思い至るのは難しいのではないでしょうか。真相を知った上で読み返してみると、一章ごとに伏線が張られていることに気づかされます(少し違和感を覚えたのですが、詠み飛ばしてしまっていました)。まあ結局は、電気人間が実在するものだったという真相なので、本を壁に投げつける方もいるかもしれませんが、これについても一応伏線があると思うし、アンフェアではない、かな……(自信なし)。「遠海事件」でノンフィクション風の体裁を本格ミステリとしてうまく使っていたように、都市伝説というネタと本格ミステリ的な技を絡ませているのが見事でした。
あと、最後の一文で炸裂する、作者の悪ノリ、冗談には、笑いを誘われます。殊能将之「黒い仏」の最後の一文を思い出したのは、私だけではないでしょう。というか、意識しているんじゃないでしょうか。妄想ですが。

以下、若干ネタバレ気味かも。

余談ですが、この最後の一文について、広いネット上には、「結局、作者が目指していたのはミステリではなくSFファンタジーってことですか。ふざけんな!って本投げたくなりました」という感想を書いていらっしゃる方がおられました。批判記事ですね。しかし、その批判の内容が少し気になったので、分量のバランスがおかしくなりますが、ちょっとだけ書きます。
えー、小説の読み方は人それぞれだし、あんまりケチをつけるべきではないのかもしれません。しかし、最後の一文について怒るだけならいいのですが、それを根拠に作者がミステリを目指していないとまで書かれると、誤読としか思えません。
作者の一文は、この作品はSFファンタジーですよ、という、宣言なのでしょうか。とてもそうは思えません。というか、そうではありません。最後の二行が全体の「オチ」で、作者が書きたかったことである、なんてことは絶対にありません。……って、作者の心が読めるわけじゃないから、断言するのはまずいかもしれませんが。しかし、一発ネタみたいなものとはいえ、ミステリとしてけっこう周到に仕掛けを巡らせて、意外性を演出しているのは確かだと思うんですよ。それなのに、どうして最後だけで、そんなふうに判断してしまうのでしょう。こういう叙述トリック的仕掛けによって驚かせるタイプの作品をミステリとして認めないのならば話は別なのですが。
また、この作品が「衝撃作」として評価されている所以は、最後ではなくて、最後の一つ前の章で、この話が三人称で記述されているのではなく、「電気人間」の一人称で記述されていることが明かされる部分ではないかと思います。この作品は「本ミス」十三位にランクインしていますが、「本ミス」の投票者の方々が、最後の一文を「本格ミステリとしての」衝撃と捉えるとは、とても考えられません。
無論、こういったことをすべて踏まえた上で批判されているのかもしれませんが、記事を読んだかぎりでは、もしかしたら勘違いされているのかも? と思ったのと、書き方が非常に厳しかったのでちょっと作者を擁護したい気になったのとで、書かせていただきました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

«米澤穂信「追想五断章」